鏡の中の私

「アナルセックスは、痛いだけ」

そういう人がいる。

すごくわかる。

本来は出すための器官に、逆方向から挿入するわけだ。
ようするに「逆走」なのだから、身体にとっては想定外のことなのだと思う。

だから、痛いという感覚はごく自然なものなのかもしれない。

ただ、私の場合は少し違った。

恥ずかしながら、私は初めてのアナルセックスで、気持ちよさを知ってしまった。

……と言っても、最初から気持ちよかったわけではない。

成人して間もない頃。

ほんの少しの興味本位から、初めてアナルセックスをした。

いざ挿入となると、そこにあったのは快感なんかではなく、ほとんど痛みだけだった。

なにしろ、使ったのはほんの少量のローション。

今思えば、痛くて当たり前だったと思う。

入口が切れてしまいそうな感覚に耐えながら、少しずつ、少しずつ。

我慢に我慢を重ねて、ようやく全部を受け入れたときのことを、今でも覚えている。

入っているだけでも痛い。

それなのに、

「これから動くんだ……」

そう考えて、絶望した…

その日はラブホテルにいた。

当時のラブホテルには、ベッドの周囲に鏡があり、顔を上げれば、行為をしている自分の姿を見ることができた。

ふと、真後ろにある鏡を見た。

そこには、普段なら絶対にありえない場所に、男性器を受け入れている自分が映っていた。

自分自身のことなのに、まるで他人の行為を眺めているような感覚だった。

「本当に、お尻に入ってる……」

そう思いながら鏡を見ていると、不思議なことが起きた。

さっきまで痛みしか意識できなかったはずなのに、少しずつ感覚が変わっていった。

肛門のもっと奥。

自分の感覚では、ちょうどおへその奥あたり。

そこがじんわりと熱を持ち始めた。

快感を感じ始めたのは、その少しあとだったと思う。

時間にすれば、挿入してから15分ほどだっただろうか。

あんなに痛かったはずなのに。

今は、気持ちいい。

その事実を意識すると、さらに感覚が強くなった。

「私は、本来とは違う場所で感じている」

そう考えること自体が、私にとっては強い刺激になっていたのだと思う。

それ以来、私はアナルセックスが好きだ。

もちろん、単純に身体への刺激が好きという部分もある。

でも、それだけではない。

私が特に好きなのは、

「どこに入っているのか」

「どこが気持ちいいのか」

そんなことを言葉にさせられること。

自分の身体に何が起きているのかを意識させられるほど、私はその状況から逃げられなくなる。

本来なら、そう使う場所ではない。

それなのに受け入れている。

しかも、感じている。

そんな自分を、自分自身から少し離れた場所で眺めるように意識する。

私にとってアナルセックスの快感は、身体だけで完結しているものではないのだと思う。

あの日、鏡に映った自分を見たことで、痛みしかなかった行為の意味が変わった。

身体が慣れたからなのか。

気持ちが切り替わったからなのか。

それとも、その両方なのか。

今でも正確な答えはわからない。

ただ私にとっては、

「自分が今、何をされているのか」

それを強く意識することが、ひとつの壁を越えるきっかけになったのだと思う。

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