最高のエンターテイメント
マスクは顔を捨て、尊厳を奪うための道具だ。
しかし、顔がばれないという側面もある。
要するに、マスクの下でどんな顔をしていようと、その表情が表に晒されることはない。
撮影する、されるうえで、これはある意味で安心材料にもなるだろう。
どれだけ無様な表情をしていても、それを誰かに見られることはない。
なにしろ、身バレする心配もない。
そう考えると、どこか私を守るためのアイテムのようにも感じてくる。
実は私も、そう思っていた時期があった。
もちろん、「マスクに守られている」なんて意識していたわけではない。
ただ、
何をしても大丈夫。
どんな姿になっても大丈夫。
そんな姿を動画に収められ、それが世に出回ったとしても大丈夫。
いつからか、そんな感覚を持つようになっていた。
まあ、そのおかげで、マスクをしているときの私はすべてをさらけ出せるようになった、という点は補足しておこう。
マスクを被れば、視界は完全にゼロになる。
何も見えない。
自分が今どんな姿をしているのかも、周囲からどう見えているのかも、自分では確かめることができない。
それでも、不思議と安心していた。
顔だけは見られていない。
その一点だけで、私はどこか安心していたのだと思う。
しかし、ある日のこと。
私はいつも通り、マスクの下で決して人様には見せられないような表情をしていた。
いつも通り、マスクに守られていた。
どこか安心しながら、思う存分醜態を晒していた、そのときだった。
突然、目の前に光が飛び込んできた。
眩しい。
何が起きたのか、すぐには理解できなかった。
それまで私の視界は、完全な暗闇だったからだ。
突然戻ってきた視界に、目も頭も追いつかない。
少しずつ光に目が慣れてくる。
そして、最初に見えたのは――
私を正面から捉え続けている、定点カメラだった。
そこでようやく理解した。
マスクを剥ぎ取られたのだ。
それまでマスクの内側に隠されていた表情が、一瞬にしてカメラの前に晒された。
自分が今、どんな顔をしているのか。
自分が一番よくわかっていた。
決して人には見せたくない顔だった。
ましてや、映像として残したい顔などではない。
それまで私は、どれだけ醜態を晒そうとも、最後の最後にはマスクがあると思っていた。
けれど、それは私の勝手な思い込みだった。
マスクは、自分を守るための道具ではない。
そのことを、否応なく実感させられた。
そして何より厄介だったのは――
そんな状況にもかかわらず、私は興奮していたことだ。
見られたくない。
隠したい。
さっきまでの暗闇に戻りたい。
そう思っている自分がいる一方で、
絶対に見せないはずだったものまで晒されてしまった。
その事実に、別の自分が強く惹かれていた。
その場にいる自分には、この感覚をうまく説明できなかった。
けれど後になって、撮られたものをひとつの作品として俯瞰してみると、少し違って見えた。
そこにあったのは、
日常を生きる私と、
マスクの向こう側にいる私。
表と裏。
水と油のように、本来なら決して交わることのない二つの世界だった。
マスクは、その二つを隔てる境界線でもある。
そして、それが剥がされた瞬間だけ、その境界が揺らぐ。
決して交わることのないはずの裏の顔が、日常と紙一重になる。
その危うさに、私は惹かれている。
まさに、裏と表、その対比こそが最高のエンターテインメント。
